- 働く
- 子育て
- 挑戦
- 移住
- 家族構成:妻+子ども1人
- 年代:30代
- 職業:果樹農家
【目次】
東シナ海に沈む夕陽は、本当に綺麗でした。
でも、地域おこし協力隊として移住したばかりのころ、小林史和(こばやし ふみかず)さんはその夕陽を見ながら、毎日ぼんやりと同じことを考えていたそうです。
何のために、いちき串木野市に来たんだっけ?
山梨から鹿児島へ来たばかりの自分には、友だちが一人もいない。 働くために、言われた通り市役所へ顔を出す。でも、当然ながらみんな仕事モードで、友だちができるわけではない。 「このままじゃ、3年経ったら山梨に帰ることになる……」 そんな焦りが、当時の胸の中に渦巻いていました。
いちき串木野市に移住して、今年で丸10年。 あの夕陽の前で途方に暮れていた小林さんは今、このまちで結婚し、子どもを持ち、企画&編集者として鹿児島中を飛び回っています。
何が彼をそうさせたのか。 それは「まずは友だちを作ろう」と動き始めた、たった一つの決断でした。

小林さんは山梨県の出身。生まれも育ちも、そして就職先も山梨。 一度も県外に出たことがないまま、30代を迎えていました。
長年勤めた半導体メーカーを退職し、友人のゲストハウス立ち上げを手伝う日々に。 楽しかったけれど、立ち上げ期ゆえに収入はありません。貯金を切り崩しながら「そろそろ働かないとなぁ」と思っていた絶妙なタイミングで偶然見つけたのが、いちき串木野市の「地域おこし協力隊」の募集でした。
なぜ、縁もゆかりもない「いちき串木野市」だったのか。 理由はズバリ、焼酎でした。

当時、焼酎にすっかりハマっていた小林さん。 飲んでいたボトルのラベルにあった「市来焼酎」という文字から、いちき串木野という地名だけは知っていたのです。 募集ページを見て、ふと思い出しました。
「あ、知ってる焼酎蔵があるまちだ。」
それだけの理由で、履歴書を書くことに。
なんとしてでも受かりたい!ってわけじゃなかったんですよ。山梨から出たこともないし、当時は一人身だったし。なんだか楽しそうだから、ノリで出してみるかって。笑
驚くのはそのスピード感。 履歴書を送って3日後には書類選考通過の連絡が。 初めて鹿児島に降り立った面接の日、市の担当職員が住む予定の家まで案内してくれ、その日のうちにアパートが決定。 翌月には、車に荷物を詰め込んで大阪からフェリーで鹿児島へ。
2016年4月。 小林さんの、怒涛の移住生活が幕を開けました。

いちき串木野市の地域おこし協力隊として着任した小林さん。 与えられたミッションは、なんと”移住支援”でした。
実は僕、移住というジャンルに全然興味がなかったんですよね。笑
無理もありません。自分自身が人生初の移住をスタートさせたばかりで、右も左もわからない状態。そんな「移住ホヤホヤ」のタイミングで、まさかの「移住者のサポート」をお願いされるという、ちょっぴり不思議な逆転現象が起きていたのです。
「俺の支援は誰がしてくれるんだって、最初は本気で思いましたよ。」
右も左もわからないまま、とりあえず着手したのが移住パンフレット作り。 市の人口、面積、気候、病院の数……。町中を歩き回って情報を集め、予算がないのでデザインも自ら手がけました。
でも、作っていくうちに一つの疑問が湧いてきます。
移住パンフレットって、そこに行って『何が楽しいか』が載っていないことが多いんですよね。補助金や移住の情報より先に、現地での楽しみが載っていた方が絶対に伝わりやすいはず。
情報より先に、ワクワクする楽しさを届ける。
この時の気づきが、現在の小林さんの「編集」の大きな軸になっていきます。
協力隊1年目にはフリーペーパーづくりのワークショップに参加し、冊子ができるまでの流れを体感。

そして2年目、市をPRするフリーペーパー「ALUHI(アルヒ)」の制作に本格的に乗り出します。 時には関係者と意見がぶつかり、葛藤を抱えることも。でも、そのモヤモヤも情熱に変換して、制作に没頭しました。
完成した「ALUHI」は、「日本タウン誌・フリーペーパー大賞2018」でReaderStore賞最優秀賞と自治体PR部門優秀賞をダブル受賞。いちき串木野の魅力が詰まった一冊は、全国から高く評価されることになったのです。

冊子の成功もさることながら、孤独だった小林さんを本当に救ったのは「友だち作り」でした。
着任して間もない頃。小林さんは市役所に「このままだと、3年後に山梨に帰ります。」と正直な思いを打ち明けました。すると市役所側も、「協力隊が終わった後もいちき串木野に残ってほしい。残ってもらえるような活動をしてください。」と真正面から返してくれたのです。
そこから、小林さんは動き始めます。他のまちで活動する協力隊に会いに行ったり、楽しそうなイベントに積極的に顔を出したり。商店街の服部さんに「地域のキーマンは誰ですか?」と尋ねて紹介してもらったご縁がきっかけで、イベントに出店をしたり。
少しずつ、確実に人の輪が広がっていきました。

出会った人が、また別の人を繋いでくれる。「最近来た協力隊はあなたか!」と、気さくに声をかけてくれる地域のおじさんたち。
鹿児島で出会った皆さんに、生かされています。
10年経った今も、小林さんはしみじみとそう語ります。
焼酎ひとつを理由に飛び込んだ、縁もゆかりもないまち。 最初は毎日夕陽を見ながら「何のために来たんだっけ」と自問自答する日々でした。
でも、「友だちを作ろう」と一歩を踏み出したことが、すべての始まりでした。地域の人との出会いが重なり、手がけた冊子は全国賞を受賞。小林さんはいちき串木野市に、少しずつ、しかししっかりと根を下ろしていきます。

後編では、自然豊かな冠岳(かんむりだけ)で楽しむ子育ての日常や、10年という月日を経てたどり着いた「移住は愛だ」という言葉の真意を、そっとひも解いていきます。
あの夕陽の前で『帰りたい』と悩んでいた彼が、どうやってここに根を下ろすことになったのか。その答えは、後編に続きます。ぜひ、お楽しみに!

この記事を書いた人:
もりみつ(事務局)
鹿児島市出身。
2025年にいちき串木野市へ移住してきました。
5人の子どもたちを育てるのに毎日夫婦で悪戦苦闘しています!
取材を通してマチの魅力を知っていけたら嬉しいです。