- 働く
- 定住
- 挑戦
- 家族構成:妻+子2人
- 年代:50代
- 職業:こばりん写真館経営&デジタルクリエイター
【目次】
「静岡に居た時はインストラクター1本でやっていけてたけど、ここでは人口が少ない分、多様に働く必要があって。ダイビングショップ、マーメイド、潜水士、カフェ店員等、季節に応じていろんな働き方をしています。」
そう笑うのは、“マーメイドもも”こと、いちき串木野市在住の鮫島百桃子さん(以下「ももさん」)。
この地域に暮らして10年。海辺の暮らしの中で移住者ではなく、いつしか“地域の一員”としての実感が芽生えてきたといいます。
子どもを学校に送り出してから隙間時間で釣りをしたり、台風被害を受けた公民館を地域のみんなで修理したり、庭でバナナの木を育てたり。笑
自分たちが楽しんでいれば、周りにも幸せが波及するっていう考え方が好きなんです。

ももさんの人生を振り返ると、どの瞬間にも「海」がありました。
「生まれは福岡なんですけど、幼少期はアメリカとオーストラリアに8年ぐらい住んでて。
そのあと東京で中高生時代を過ごして、大学は静岡。いろんな土地を転々としてきたから、“出身どこ?”って聞かれると困っちゃうんですよね。笑」
そんな彼女が“海の道”へ進むきっかけは、高校時代。
「イルカに会いたい!」「ハワイにドルフィン施設があるみたい!」「ドルフィンセラピーってなんだろう!?」――イルカをきっかけに、海への想いがどんどん強くなっていったといいます。
進学したのは静岡の東海大学海洋学部。
ダイビングをすると深海魚を見ることができる確率の高い駿河湾をフィールドに、魚類や生態系を専門的に学びました。
「駿河湾って深いんですよ。冬になるとアンコウやマンボウが浮上してきて、海の温度ひとつで見える生き物が全然違う。それが面白くて、ダイビングサークルに所属して海に潜ってばかりの大学生活でした。」
卒業後の進路は、同級生に人気の水族館ではなく“海の現場”。
海に潜って“偶然出会う生き物”が好きなタイプなんですよね。
そうして選んだのが、ダイビングインストラクターの道でした。

大学卒業後は、年間100〜200人もの学生に対して講習を行っていました。
「1年生でライセンスを取った子が、2年、3年とステップアップしていって。最後は卒業旅行として海外ツアーを引率して卒業していく。その成長を見守るのが嬉しかったんですよね。」
4年ほど続いたそんな“海の現場”での経験が、今のダイビングショップやマーメイド活動の原点になっています。
ももさんの人生を大きく変えたのは、大学時代に乗った“船”でした。
東海大学の校舎は全国にありますが、希望する学生が全国から参加する1ヶ月半の海外航海実習で、のちに夫となる男性と出会います。
「夫はもともと建設や土木工学を東海大学の熊本校舎で学んでいたんです。私は東海大学の静岡校舎。ただ、その航海実習がきっかけで夫は“海洋土木”に進路を変え、大学院で静岡校舎に来ることに。人生、何があるか分からないですよね。笑」
さらに驚くのは、夫の両親も同じく“船の研修”で出会っていたこと。
話を聞いた時は本当にびっくりしちゃって!
もう、運命ってあるんだなって思いました。笑
夫は九州出身で、就職を機に鹿児島県の薩摩川内市へ。
一方のももさんは大学卒業後に静岡でインストラクターとして働き、しばらく遠距離生活を続けていました。
当時、夫が釣りで通ってたのが、串木野の海。
よく面倒を見てくれていた船長さんに“そんなに通うなら住めば?”って言われたのが、移住のきっかけでしたね。
夫が偶然見つけた空き家に住み始め、ももさんもほどなく移住を決意。

移住を両親に伝えると、思いがけない言葉が返ってきました。
「実はあなたのルーツに鹿児島の坊津(現・南さつま市)があるんだよ」――。
「“呼ばれたんじゃない?”って、父に言われました。笑 自分は幼少期を海外で過ごしているので、親戚付き合いというものと縁がない暮らしだったんです。なので、不思議な感覚でしたね。今でもたまに坊津へ潜りに行ったりするんですよ。」
最初は大変でしたよ。慣れない土地で、海に潜るのも子どもを育てるのも体力勝負ですから。
私自身ずっと体育会系で生きてきたので、そのおかげで踏ん張れているのかも。笑
移住の際、ももさんが譲れなかった条件はひとつだけ。
”窓から海が見えること”
「静岡の時もそうだったんですけど、家探しの条件は“海が見えるかどうか”だけでした。いまの家は本当に目の前が海で、子どもたちの遊び場も漁港のスロープ。気がつけば、生活の中心にいつも海があります」

移住してすぐ、台風が直撃しました。
停電が続く中、夫は河川の仕事をしていたため出勤する必要があり、不安な夜をひとりで過ごしました。
そんな中、地域の公民館修復に集落総出で取り組んだことが、地域に溶け込む転機となりました。
「みんなで土嚢を運んで、壁を直して。私自身が海外や関東近辺で育ってきて、台風というものをほとんど経験してこなかったので、全てが新鮮でした。あの経験があったから、私は地域の人たちに顔を覚えてもらえたし、この地域の人間になれた気がします。」
【この時の写真があればいただきたいです!なければ公民館の写真を撮りに伺わせてください】
「都会ではダイビング一本で食べていけたけど、ここではそうもいかない。だから、いろんな仕事を少しずつやる感じです。地域を盛り上げたい気持ちもあるけど、一番は“自分たちが幸せであること”。」
少し考えて、ももさんは続けます。
いちき串木野は、“楽しみを自分で見つけられる人”には最高の場所だと思います。
海が好き、自然が好き、そういう人にはピッタリですよ。

福岡に生まれ、アメリカとオーストラリアで幼少期を過ごし、東京、静岡、そして鹿児島へ。
海の近くを転々としながら、いつの間にか“海と共に生きる道”を歩んできたももさん。
いちき串木野に暮らして10年。
台風の夜に感じた地域の力、目の前の海で遊ぶ子どもたちの笑い声、季節ごとに変わる仕事を楽しむ日々――。
“移住者”という枠を越えて”地域の一員”として暮らすこと。そして、そのこと自体を楽しもうとする姿勢が印象的でした。
後編では、そんなももさんが日々の暮らしの中で実践している自然と共にある子育て、そして“マーメイド”としての活動を通じて見えてきた環境との向き合い方についてお届けします。
