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- 子育て
- 移住
ママ達の身体機能を回復させて街を元気に。
- 家族構成:7人家族(夫婦+5人の子ども達)
- 年代:30代
- 職業:ピラティス講師、施設運営
駅伝の沿道で受けた声援に「いつか恩返しを」と誓った少年は、地元の市役所職員として地域を支える道を歩み始めました。
震災復興の現場で人々の暮らしに向き合い、湯之元80人会議で「これからは自分たちで考え、動く時代だ」と確信。DX推進に取り組みながら、行政の可能性と限界の両方を体感しました。
そして令和の時代、公務員という安定した立場を手放し、民間人として地域に飛び込む決断を下します。
後編では、その大きな転機から始まる多岐にわたる挑戦、家族との変化、そして未来への展望を追いかけます。

【目次】
「辞めるって言ったときは、周りから“もったいない”“何考えてるの”って散々言われましたよ」
鹿児島県いちき串木野市役所を2025年3月で早期退職し、地域に根差した挑戦の道を選んだ木塲英朗さん。
安定を手放す決断に、周囲の反応は冷ややかなものも少なくありませんでした。
公務員を辞めて収入面では不安定になったかもしれません。
ただ、集客のためのビラ配りや企業への訪問を積極的に行ってるんですけど、昔から営業活動というものをしてみたかったので楽しくて。笑
毎日自分のやりたいことに全てのエネルギーを注げるということ自体が、自身の活力になっていそうだなと感じました。
ただ、木塲さんがスムーズに今の活動に入っていけたのは、「公務員時代に築いた信頼関係が大きい」とのこと。
『信頼を先に積み重ねてから独立する』という順番こそが、現在の活動を支える大きなカギになっていそうです。
「狭い地域だから、“元公務員”ってだけで安心してもらえる。危ないことはしない人、ちゃんとした人、って思ってもらえるんです。公務員時代に信頼関係を築いていた方から仕事の依頼をいただいてて感謝です。」

今、木塲さんの肩書きは一つではありません。
カメラマンであり、ITサポーターであり、DX推進役でもあり、講師でもある。地域のあちこちに必要とされる存在になっています。
まず大きな軸となっているのが写真活動です。

こばりん写真館での写真撮影はもちろん、出張でのスナップ撮影や家族写真の撮影、イベントでのセルフ写真撮影会等、撮影ひとつ取っても多岐に渡ります。

また、神村学園女子ソフトボール部の試合や練習風景を記録。汗と涙にまみれた一瞬を切り取り、保護者へと届けています。

子どもたちが頑張る姿を残すことは、遠方からいちき串木野へ子どもを送り出している親御さんへ寄り添うことにも繋がるんです。
また、「こばりん写真館」は、撮影だけの場所にとどまりません。
こばりん写真館を地域の人が集まり、つながる拠点になることを目指して、最近では学生向けの自習室やプログラミング教室も始めました。

さらに、高齢者へのIT支援も大切にしている地域貢献活動です。
数千円(出張費込)で家まで行って、パソコンやスマホの困りごとを解決。
機種選びから料金プランの見直し、操作方法の指導まで、内容は多岐にわたります。子どもが県外に出てしまい、相談できる人がいない高齢者にとっては、大きな安心です。
困ってる人が多すぎて、最近は困りごと解決ばっかりやってますね。笑
また、保育園や幼稚園でのDX支援にも取り組み始めました。
「業務をもっと効率化したい」という現場の声に応え、保育士の先生たちに業務効率化のための生成AI講座等を定期開催。事務作業の効率化を図ることで先生たちが子どもに向き合える時間を少しでも増やそうという取り組みを行っています。
市役所時代に培った知識と経験を、今度は民間の立場から地域へ還元しています。
起業して大きく変わったことのひとつに、家庭との関わり方があります。
晩ごはんは必ず家に帰って、家族と一緒に食べるようにしてるんです。
公務員時代は夜遅くまで働き、妻と顔を合わせることもほとんどありませんでした。
「平日は帰ったらもう寝てるし、休日は寝てるか外に出てる。一番最悪な旦那像でしたね。笑」
公務員時代は、家と職場を行ったり来たりするような働き方が難しくて。
でも今は一度家に戻り、食卓を囲んでから事務所に戻る。そんな働き方のリズムできたことで、家族とも会話が増えました。

「土日に動くことが公務員時代は全てボランティアだったのが、今は仕事に繋がるわけで。儲かるんじゃないかっていう可能性を感じてもらえてるみたいです。笑」
また、息子さんの弓道の試合にはカメラを持って出かけ、その姿を写真に収める時間もできました。
木塲さんがカメラを始めたことで、娘さんとの関係にも変化がありました。
「高校でカメラ部に入りたいって言ったとき、普通なら“10万のカメラなんて無理”って言うと思うんです。でも僕はカメラをやってたから“いいんじゃない?”って背中を押せた」
その経験が娘さんの進路に影響を与え、今は大学で映像や写真を学んでいます。

一つの事業にとどまらず、複合的な展開を見据えている木塲さん。
「写真館、企業のDX推進、地域の困りごと解決、教育。いろんなことを組み合わせてやっていきたい」
特に思い描くのは、若者に多様な生き方を伝える場です。
“こういう生き方もあるんだよ”って、実際に見せられる存在になりたいんです。
また、早期退職した大人たちや、公務員で転職を検討している人たちが集まり、語り合える場をつくる構想も抱いています。
「辞めてからの選択肢って、意外と知られていない。また、公務員の転職ってまだまだ相談できる人が少ないから、安心して語れる場をつくりたい」
そして何より、地元・いちき串木野市への期待があります。
地域で挑戦する大人たちが増え、次の世代が憧れるような街に。木場さんの視線は、常に未来に向かっています。

振り返れば、駅伝の声援に背中を押された少年が、市役所職員として地域を支え、気仙沼での震災支援を経験し、湯之元80人会議やDX推進を通じて多様な人と関わってきました。
そして今、独立という新たなフィールドで、その経験が一つひとつ花を咲かせています。
「困っている人の役に立ちたい」
その思いを胸に歩む日々は、決して派手ではありません。けれど、確かな信頼と笑顔に支えられています。
木塲さんの挑戦はまだまだ始まったばかり。
木塲さんがチャレンジすればするほど、いちき串木野市がどんどん魅力的になっていく予感しかしないので、その山あり谷ありな過程を楽しむ木塲さんの姿を今後も追っていけたら嬉しいなと、ひそかに企んでいます。
