- 住まい
- 働く
- 定住
- 年代:40代
- 職業:観光案内所職員
いちきくしきのい~くらしナビ内で連載している「移住者インタビュー」。
移住者目線で感じるリアルないちき串木野市での暮らしの声をお届けしており、ご好評いただいています。
今回から新企画として、いちき串木野に「定住」している方にもお話を伺い、ずっといちき串木野市に住み続けているからこそ見える魅力や課題をお話しいただくと共に、移住を検討中の方へのアドバイスもいただきます。
定住者インタビュー第1弾の今回は、いちき串木野市観光案内所で働く、竹原勇輝さんにインタビュー。「たけどん」と聞いてピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。(たけどんについては後述します)。
竹原さんが生まれ育ったのは、いちき串木野市。ご実家が自転車屋を営んでいたこともあり、地域の人たちがみんな顔見知りという環境で育ちました。
高校卒業後は、山口県の国立大学に進学。地元を離れ、新たな生活をスタートさせます。大学時代は、授業よりもアルバイトに夢中だったそう。制作会社でのバイトを中心に、コンサートの運営補助からイベント企画、CMの営業、さらにはコピーライティングまで、多岐にわたる仕事を経験しました。
山口きらら博という博覧会で約3ヶ月間、フルタイムで働いていたことも!
多忙な学生生活の中、大学4年生の夏には「学生らしい思い出が1つもない..このままで良いのか!?」と思い、京都へ一人旅に出かけました。そこで訪れたのが、京都駅にある観光案内所。竹原さんが「どこか静かな場所に泊まりたい」と伝えると、案内所のスタッフが予約手配までしてくれたそうです。この経験は、後に観光案内所で働くことになる自身の人生に、不思議な縁を感じさせる出来事となりました。
最終的に大学は中退することになりますが、当時のアルバイト先だった制作会社の社長に声をかけられ、そのまま就職。山口で約10年間社会人生活を送りました。
就職した制作会社では忙しい日々を過ごしていたものの、リーマンショックの影響で会社が突然無くなってしまいます。思いがけない状況に直面していたそのとき、いちき串木野にいる祖父から一本の電話がかかってきたそうです。
「帰ってこんか!」
電話口でこう言った祖父は続けて、
「お前には実家の自転車屋があるんだから。それだけは言いたかった。」
当時、両親にも何も話していなかった竹原さん。「祖父は何かを感じ取っていたのかもしれませんね」と、懐かしそうに振り返ります。
この一本の電話が、竹原さんがいちき串木野へ帰郷する大きなきっかけとなりました。今から15年前のことです。
竹原さんが地元に戻ってきて最初に感じたのは、「こんなに静かになってしまったんだ……」ということでした。子どもの頃に通ったにぎわいのある商店街は、シャッターが閉まり、さら地になっている場所も多く、かつての面影はありませんでした。
竹原さんが幼い頃、商店街のアーケードでは毎週市場が開かれていました。今で言う「マルシェ」のような洒落たものではなく、アーケードを歩行者天国にして、ゴザを敷いて開かれる、まさに“ザ・市場”。農家の人々がリアカーや軽トラックで野菜を運び、海産物はトロ箱に入れて売られ、干物や揚げたてのつけ揚げを出すお店も並んでいました。学校帰りの子どもたちが大人の間を縫うようにして歩かなければならないほど、アーケードには人があふれていたといいます。
しかしその市場も、担い手不足のために開催されなくなってしまいました。にぎわっていた記憶が強く残っていた竹原さんは、「毎週じゃなくてもいいから、あの雰囲気をもう一度復活させたい」と思うようになりました。
市役所に相談に行くと、話はトントン拍子に進んでいき、商店街のイベントを企画・実施していくなかで、少しずつ仲間も増えていきました。
竹原さんのことを昔から知る年上の方々が協力してくれる場面も多く、地域のみなさんが温かく見守り、助けてくれたそうです。
そうした活動がやがて「くしきの盛り上げ隊」の発足につながり、竹原さんは“隊長”として、地域を盛り上げるさまざまなイベントの企画・運営を担うようになりました。
本業の自転車屋を続けながら、商工会議所青年部の活動やイベントの企画・運営にも携わってきた竹原さん。中でも、特に印象に残っているイベントがあるといいます。
いちき串木野市は、2013年に全国で初めて「本格焼酎による乾杯を推進する条例」を制定しました。
「乾杯条例1周年を記念するイベントを開催できないだろうか」と、市役所から竹原さんに依頼があり、6月にイベントを実施することに。
「乾杯条例1周年を記念するイベントを開催できないだろうか」と、市役所から竹原さんに依頼があり、6月にイベントを実施することに。
梅雨時期だったため雨の心配もありましたが、それを逆手に取り「傘」をテーマにしたイベントを企画。その名も「傘酔夜市(かさよいよいち)」。パラソルを並べ、雨宿りをしながら焼酎とおつまみを楽しめる雰囲気づくりを目指した、ユニークなイベントでした。
いちき串木野市には大小8つの焼酎蔵がありますが、当時は焼酎組合がなく、焼酎をテーマにしたイベントもほとんど存在しなかったそうです。そうした中で、竹原さんのような“外部の人間”がイベントを主催したところ、各焼酎蔵の皆さんが快く協力してくれたと言います。
「みんなが力を貸してくれて、とても嬉しかった」と竹原さんは笑顔で振り返ります。若い世代から地元のベテランまで、さまざまな人たちと力を合わせ、地域を巻き込んだ取り組みを何年も続けてきました。
そんな竹原さんのもとにある日、「誰か観光案内所で働ける人はいないか?」という話が舞い込んできます。「自転車屋の息子が帰ってきて、いろいろやっているらしいよ」と、地元で広がった声。それが縁となり、竹原さんは観光案内所の職員として働くことに。
観光案内所で働き始めて、今年で8年目。
竹原さんの業務は実に多岐にわたります。基本となるのは、来所者や電話・メールによる問い合わせ対応です。観光地の紹介はもちろん、交通手段や地域イベントの情報、飲食店の案内など、その内容はさまざま。また、訪れる人のニーズに合わせて、いちき串木野市での時間がより楽しく、快適になるような情報を提供しています。
市からの委託を受けて、グリーンツーリズム事務局、ボランティアガイド事務局、ふるさと納税返礼品の発送作業や管理も行っています。
さらに、旅行業の登録を持つ「旅行会社」としての機能もあり、地域限定のツアーを企画・実施しています。竹原さん自身もこれまでに、甑島へのツアーやサワーポメロの収穫体験付きツアーなど、地域の特色を活かしたツアーを手がけてきました。
竹原さんは、地元いちき串木野では「たけどん」として広く知られています。では、なぜ「たけどん」が誕生したのでしょうか?
実は、羽島で行われた盆踊りに浴衣姿で参加したときに周囲から、
どこのせごどん(西郷どん)が来たかと思った!
と言われたのが始まりでした。
ちょうどその頃、NHK大河ドラマ『西郷どん』の放送が決まり、鹿児島全体で観光PRに力を入れようという機運が高まっていました。しかし、いちき串木野市はドラマの本編には登場せず、ロケ地にも選ばれていませんでした。
「それでも何か引き寄せたい」。そんな想いから、「体型もなんとなく似ているし、西郷さんの恰好してみようかな。面白いそうだし、やりますわ!」と気軽な気持ちで言ってしまったそうです。すると、周囲から「いつやるの?まだやらないの?」と期待の声が高まり、ついには南日本新聞の記者から「いつから始めるんですか」と毎日のように電話がくるように。
「たけどん」の活動初日、寒い1月に浴衣姿で観光案内所に出勤し取材を受けた竹原さん。新聞には「いつでも会いに行ける西郷どん」として掲載されました。
やがて毎日新聞からも取材が入り、当初は地方版に掲載される予定だった記事が、なんと全国版の一面に。さらにYahoo!ニュースのトップにも取り上げられ、全国から注目される存在となりました。
「本当にびっくりしました。電話は鳴り止まないし、取材も殺到するし……最初は冷や汗もんでしたよ(笑)」と、当時の驚きを竹原さんは笑いながら振り返ります。
後編では、竹原さんの思ういちき串木野市の魅力や移住者へのアドバイスを伺います。